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written by dkex. illustration by kahito (TAEG).

2008/07/22: 復活。

目次

このお話の登場人物

古谷 秋比古 (ふるや あきひこ)
主人公。高校二年生。〈スターライトミンツ〉のギタリスト。通称はアキ。
山吹 鈴音 (やまぶき すずね)
秋比古の同級生。〈スターライトミンツ〉のリーダー。
春原 メイ (はるはら めい)
秋比古のクラスの転校生。
鮎貝 真古都 (あゆかい まこと)
高校一年生。〈スターライトミンツ〉のベーシスト。
園田 誠太郎 (そのだ せいたろう)
高校二年生。〈スターライトミンツ〉のドラマー。
三浦 広和 (みうら ひろかず)
秋比古の同級生。友人その一。
唐沢 孝志 (からさわ たかし)
秋比古の同級生。友人その二。
古谷 皐月 (ふるや さつき)
秋比古の姉。大学三回生。
アルフレッド・スミス
春原家の執事。
妹尾 悠 (せのお ゆう)
高校二年生。ポピュラー音楽研究部の副部長。
妹尾 由里香 (せのお ゆりか)
高校一年生。悠の妹。
速水 京介 (はやみ きょうすけ)
ポピュラー音楽研究部の部長。三年生。

1 ふたりの転校生

空が高い。時折吹く風がひんやりしてる。秋だ。筋になって流れていく雲をぼんやり眺めながら、俺は誰もいなくなった放課後の音楽室の窓に腰掛けて、安物のテレキャスターを漠然とつま弾いていた。

中学のときに父さんのお古のレス・ポールを奪ってから高校二年の今に至るまで、ギターには自分なりに真剣に取り組んできたつもりなのだが、腕のほうはさっぱり上達する気配がなかった。敬愛するジョアン・ジルベルトもカート・コバーンもケヴィン・シールズもジョニー・マーも、その背中は地平線の向こうに霞んでる。あーあ。

黄昏れている俺の頭から不意にヘッドフォンがひっぺがされた。バランスを崩して危うく落ちそうになる。オイいきなりなにしやがるコノヤロウ。

「今日はスタジオ取ってるから、って言ってなかったっけ?」

鈴音。いつの間に。

「いきなり引っ張るこたないだろっ。危ないじゃないかっ」

「ん、いいヘッドフォンね」

ぜんぜん聞いてないですね。鈴音はヘッドフォンのプラグを俺のアンプシミュレーターから引っこ抜いて、自分の iPod に接続している。真剣な表情。このままヘッドフォンを持っていかれそうな勢いだ。

「……時間が無いんじゃないのか?」

「あ、そうだった」

鈴音は俺のヘッドフォンを付けたまま流れるように踵を返し、ブーツをゴトゴト言わせながら小走りしていく。背負ってるギターバッグがやたら大きく見える。

「早くしないと真古都がふくれてるよ」

ケーブルを片付けるのにに手間取っている俺に、鈴音は振り返っていたずらっぽい小悪魔の笑みを投げてきた。いつもの風景だった。

いつもの風景。俺はまだ、それに違和感を感じてる。

山吹鈴音は俺の所属するバンドのリーダーだ。二年になったとき転校してきて、初登校の日にそのつんつんはねたラフなショートカットと大きなピアス、年季の入ったマーチンのブーツでいきなりクラスの注目を集めていた。制服のお上品な黒いベストと格子柄のプリーツスカートをヴィヴィアンのごとく着こなしていた(なんて、わかったようなことを言っているが、ヴィヴィアン・ウェストウッドなんて当時の俺は知らなかった)。エキセントリックなファッションとは裏腹におとなしくて人なつこい性格で、すぐにクラスに馴染んでいた。残念ながら大変魅力的であると認めるしかない、実際の身長よりひと回り小さく見える華奢なスタイルとよく動く大きな瞳には、クラスの野郎どもが色めきたった。しかしなぜだか微妙に存在感が薄く、親友というほど仲がよくなるやつはいないみたいだった。休み時間にはひとりでぼんやりしてるときが多かった。嫌われてるとかそういうわけじゃなく、むしろ人気者といってもいいのにおかしな話だった。俺はこういうのが近寄りがたい美人ってやつか、とか思っていた。

それは五月のことだった。俺は放課後にちょくちょく音楽室の備品のだれも使ってないアコースティックギターを無許可でひっぱりだして、ジョアン・ジルベルトのみっともないコピーをしていた。音楽教師はギターはできなかったし、弦は自前で調整も俺がやったのだ、文句はないだろう。音楽系のクラブは別棟で練習してるので音楽室はたいてい無人だった。そのとき弾いてたのは確か『Eu Vim Da Bahia(バイーア生まれ)』だった、と思う。

「あなた、バンドやる気ない?」

思いがけない至近距離でいきなり話しかけられて、俺は椅子からひっくり返りそうになった。微妙に盛り上がって歌まで呟いてた俺は顔面に血が集合するのを感じつつ、声がしたほうを見上げると鈴音がじーっと俺の手元を見つめていた。

「山吹さん、いつのまに?」

そう、このころはまだ名字にさんづけで呼ぶような相手だった。鈴音は口をもぐもぐさせながら、俺の手元から目を離さない。

「秋比古くん、だったよね。ギターは持ってるの?」

焦ってる俺が、ああ、うん、エレキだけど、とか適当な返事を返すと、

「そう。他のメンバー探したらまた声かけるから」

そういって鈴音は立ち去りかけたが、思い出したように立ち止まると、ポケットをごそごそ探ってなにか取り出した。

「これ、あげる」

鈴音が差し出したのは、星模様のミントキャンディだった。そして呆然としている俺に、そのときはじめて見た、あの小悪魔の微笑みを投げかけて去っていったのだった。教室では見たことのないその表情に俺の動揺はさらに深まることになった。鈴音は楽器ができる、というのもそのときはじめて知った。つい肯定的な返事をしてしまったことを後悔したが、ま、俺の腕を確かめて誘うんだからそんな大したもんじゃないだろう、どうせほんとにやるかどうかもわかんないしー、とこの件はとりあえず忘れることにした。

そんな予想は思い切り裏切られることになる。

二週間ほど経ったころ。鈴音はあれ以来話しかけてくることはなかった。その日の授業が終わって、広和、唐沢と帰りにコーヒーでも飲んでくかー、なんて話をしていたとき、後ろからいきなり名前を呼ばれた。振り返ると鞄を持った鈴音がいた。

「明日の放課後、スタジオ取っといたから。これ、練習しといてね」

鈴音はそう言って俺にスコアを渡し、あの微笑みと共に去っていった。広和と唐沢はこのありえない状況を目の当たりにして、しばらく完全にフリーズしていた。こいつらとは一年からの付き合いだが、俺も含めて際立ったところのないその他大勢の一員だった。女子から個人的なプローチを受けるなんて、三人合わせてもはじめてだったはずだ。唐沢が沈黙を破る。

「……おい。どういうことよ?」

緊急事態。俺は駅前のドトールでしつこく尋問されることになった。特に唐沢はしつこかった。鈴音はかなりストライクなタイプだったらしい。絶対おまえに気があるんだそうに違いない羨ましい妬ましい。うん、そういう視点で考えたことはなかったな。俺は適当な返事をしながらアイスココアをかき混ぜ、スコアを眺めていた。スコアはプリントアウトのタブ譜で、手書きで修正が入っていた。几帳面な文字。一緒に渡された CD に入ってた曲は My Bloody Valentine の『When You Sleep』。一九八〇年代の、古いけど好きなバンドだった。こんなの聴くんだな、とか思っていた。俺がその日、必死で練習したのは言うまでもない。

連れられていった練習スタジオではじめて顔を合わせたメンバーは、ギター/ボーカルの鈴音、同じ二年でクラスの違うドラムの誠太郎、一年生のベースの真古都ちゃん、そして俺の四人。

「ま、最初だし、リラックスしてやろうね」

なんて言いながら、鈴音はバッグから相当弾きこまれた、あちこち塗装の剥げてるヴィンテージものらしき白いジャガーを取り出した。眼鏡をかけた犬らしきキャラクター(ドグバート、というらしい)のステッカーが貼られていたが、それもボロボロになっていた。

鈴音のギターはまったく衝撃的だった。うまいやつというのは単純なコードストロークにも説得力がある。リズムに合わせてジャカジャカやってるだけで音楽になる。ぼろっちい備品のコンボアンプから出ているとはとても思えないパワフルなサウンドだった。制服のブラウスにプリーツスカートというスタイルでガシガシストロークする様は実に自然。同じことを俺がやったらさぞかしバカみたいだろう(女装するって意味ではない)。誠太郎は顔色ひとつ変えず黙々とリズムを刻んでいたが、俺と、楽器をはじめて三ヶ月くらいという真古都ちゃんはついていくのが精一杯だった。相当よれよれの演奏のはずだったが、鈴音はいたくご機嫌だったらしく、演奏してるあいだずっと笑顔だった。後半からはマイクをセットして、実は歌詞よく覚えてないのよね、なんて言いながら歌も歌いはじめた。ギタープレイとは対照的な、透明な優しい声だった。

二時間の練習が終わり、俺と真古都ちゃんは疲労困憊、誠太郎は来たときと同じ表情、鈴音は上機嫌でカウンターで次回の予約をしていた。

「じゃあ、これからもよろしくね」

誠太郎はただ頷いて眼鏡を直し、真古都ちゃんはくりくりの瞳を輝かせて鈴音さんすごいですねわたし頑張ります〜なんていってる。そんなわけで俺のバンド生活がはじまったのだった。

それからは少なくて週一、夏休みなんかは週二〜三くらいのペースで練習だった。スタジオ代は鈴音が全部出してくれてたので、悪いような気がしつつも少ない小遣いの心配をする必要がないのはありがたかった。

誠太郎は無口だが、軽快でスピード感のあるタイプのドラマー。スチュワート・コープランドみたいだ。パワー感はそんなにないけど、とにかく無駄な動きが少ない。夏でも涼しい顔をしている。真古都ちゃんはすっかり鈴音になついてて、ベースのほうもめきめき上達していた。おそるおそるって感じだったピック弾きも板についてきてて、これまた結構ヴィンテージっぽいボロボロなサンバーストカラーのプレシジョンベースをヘビーにごりごり言わせていた。俺は、というと−−ま、多くは語るまい。そんな感じで二学期がやってきて、秋の深まりとともに俺の自分の才能に対する苦悩も深まっていくというわけなのだった。口には出さなかったけど。

それにしても不思議なのは、だれも俺の悲惨なギターに文句をつけないことだった。鈴音はいいのいいのとか言ってるし、真古都ちゃんは、え?アキさんのギター個性的ですよ、なんて言うし、誠太郎は真顔でなにか問題が?とか言う。ホントかよ。

そんなわけで、俺は自分の存在の中途半端さを日々噛みしめてるところ。

鈴音の後ろをとぼとぼついて校舎を出ると、秋の風が鈴音の少し伸びた髪とスカートの裾をそよそよひらめかせた。ミントの香り。鈴音はミント中毒で、隙があればいつでもミントキャンディをもぐもぐしている。本人の数少ないコメントによれば、ミント味のスイーツが大好きなだけであってミントだったらなんでもいいわけじゃないらしい。ミントティーは甘食なのかと聞いたら、いっぱいお砂糖入れるもん、との答えだった。

鈴音は普段はあまりしゃべらない。黙ってすたすた歩いていく。それを俺が追いかけるように歩くのもいつもの風景ではあったのだが、その日は違うものが目にとまった。

その女の子は校舎を見上げていた。腰辺りまである黒くて長いストレートの髪が、なめらかに風になびいている。着ているのは、同じく黒いフリルのワンピース。平凡な郊外の街並には、ちょっと似つかわしくない光景だった。女の子がこちらを向く。目が合った。はっとする青い瞳。俺が固まっていると女の子は少し驚いたような表情を見せ、慌てて小走りに立ち去っていった。

「どうかしたの?」

「いや……なんでもない」

「ふうん」

鈴音はまた歩き出した。

いつもどおり俺だけ必死な練習が終わったあと、マクドナルドで鈴音が切り出した。

「うちの学校ってね、学園祭でバンドとかアリ?」

「ポップ研は去年やってた」

頬杖をついた誠太郎がぼそっと言う。こいつが二言以上続けて言葉を発したのはいまだに聞いたことがない。

ポピュラー音楽研究部、通称ポップ研は我が校の正式な文化部。その名のとおりポピュラー音楽をやるのが活動内容。ポップミュージックならなんでもいいらしいのだが、事実上ロックバンド部になっている。普通の学校だと軽音とかいうやつ。

「うーん、やっぱりクラブに入ってないとダメなのかなぁ」

「ベース教えてくれた友達、ちょこちょこライブしてるみたいですよー。こないだ対バン探してるとか言ってました」

真古都ちゃんが前髪を払いながら、いつものちょっと間延びした甘いしゃべりかたで言う。真古都ちゃんはしゃべりかたはおっとりしているが、性格は明るくて活発だ。真古都ちゃんがいなかったら、うちのバンドはとっても静かだろう。鈴音も真古都ちゃんがいるときはおしゃべりな女子高生になる。

「なぁんだ、早く言ってよね〜。それなら話は早いかも」

鈴音が笑顔で言う。俺はシェイクをじゅるじゅるしながら思う。ん?ちょっと待て。

「……ライブの話、本気?」

「え?ぼちぼち人前でやってみてもいいんじゃない。楽しいよ」

「わぁ、アタシはりきっちゃいマス」

「じゃあ、そのお友達紹介してもらわなくちゃね」

女性陣がきゃいきゃいしてる横で俺は黄昏れていた。俺が極度の上がり症と知っての所業か。

そんなこんなでとんとん拍子に話が進み、年内に一回はライブすることが賛成多数(賛成三、棄権一)で決定し、俺は次の日重い気分をずるずる引きずって登校することになった。

朝のホームルームはいつもと違う展開だった。担任の藤崎が転校生を連れてきたのだ。今年に入ってふたりめの転校生。珍しい。

「春原メイです。イギリスから来ました。みなさん、よろしくお願いします」

俺は驚いた。流れるような長い黒髪、印象的な深い青い瞳。それは、昨日の女の子だった。白い肌と端整な顔立ちはまるでアンティークドールみたいだ。クラスの女子の中でも間違いなく最小であろう、そのスタイルがますますお人形さん感を際立たせていた。単に背が低いのではなくて、全体のパーツがすべて小さいのだ。まさか同学年だったとは。春原メイはその見た目からはかなりギャップのある流暢な日本語で挨拶し、ペコリとお辞儀した。髪がさらさらと流れる。

藤崎の解説によると、父親が日本人で母親がイングランド人。ロンドンに住んでいたが、両親の転勤が頻繁になったので落ち着くまで日本の祖父母のところに住むことになった、ということらしい。

「そうだな、とりあえず古谷の後ろに座ってくれ」

なんか席がひとつ多いと思ったらこれか。春原メイはとことこ歩いてきて、俺の後ろの席にすとんと腰を下ろした。

「えー、それでは連絡事項は、っと……最近……」

いつもの長ったらしい話がはじまって、いつもなら俺の意識は窓の外の青い空へと漂っていくのだけど、今日は後ろが気になってしかたがない。

「!」

すぐ後ろに変な気配を感じて、俺は思わず振り返った。

「?」

春原メイは不思議そうな顔で首を傾げているだけだった。気のせいか。

「あ……俺は古谷秋比古、よろしくね」

「こちらこそ」

ホームルームが終わり、好奇心でいっぱいの女子たちが春原のところに集まってきた。春原は上品な笑顔で応対している。この物腰はきっと家が金持ちに違いない。なんでわざわざうちみたいな普通の県立高校に転校してきたんだろう。うちがお嬢様校っぽいのは制服だけじゃないか。

ふと見ると、鈴音はいつもどおり窓際の最前列からぼんやり外を眺めていた。

2 幽霊

何日かすると、イベントに浮き足だった教室の雰囲気も元どおりの気だるさに戻った。

その日はバンドの練習もなく、俺は友達といつものドトールで適当に暇をつぶし、家路についていた。十月になると急に日が暮れるのが早くなる。日中は子供の遊ぶ声が耳障りな郊外の住宅地は、暗くなると一気に静けさに包まれていく。うちの近所は古風なレンガの塀や石の歩道、蔦の絡まった街路樹なんかが、夜になると昔のホラー映画みたいな薄気味悪さを演出していた。姉ちゃんは夜に出歩くのは嫌がっていたが、俺はこの雰囲気が気に入っていた。

俺は夜が好きだ。昼は世の中が狭い。なにもかも見通せてしまう。暗闇は、その向こうに広い世界を感じることができる。もっと奥行きがあるような気がする。普通はなにかいるみたいな気配がして不安になるんだろうけど、俺は小さい頃からそんな雰囲気が大好きだった。幽霊でも妖怪でもなんでもこい。だけどそんな面白いことなんかないってことは、高校生にもなるとさすがにわかってる。暗闇が平凡な街並をちょっと不思議に見せてるだけのことだ。

だから俺は目の前で起きてる事件がどういうものか、イマイチ先入観なしで判断できなかった。

そいつは道のど真ん中に立っていた。ただの人影だと思っていたのだが、そうではなかった。暗い透き通った影のような体。顔の真ん中には、不気味に光る赤い大きな眼−−それが本当に眼なら、だけど−−がついていた。長い腕がゆらゆら揺れている。こいつは、もしかして幽霊というやつでわ?そういや最近、幽霊やら人魂やらを見たっていう噂が多かったような。いや、そんなことはいい。

そいつの赤い眼は俺をじっと見すえていた。不意に周囲の環境音が消えて、それからぞわぞわというノイズと耳鳴りが始まる。完全な無音状態だとこういう音がするんだ、って聞いたことがある。耳の器官を流れる血液がこういう音を聞かせるらしい、という雑学はどうでもいい。声が出ない。これは、きっと、ものすごく、ヤバいんじゃ、ないだろうか。形の曖昧なそいつの手が俺のほうに伸びてくる。背筋が寒くなる。これは危険だ。直感がそう言ってる。逃げなくちゃ。しかし足が動かなかった。うわ、なんで?これが金縛りってやつ?

完全に停止した空気を金属音が切り裂いた。俺は思わず耳を塞ぐ。

俺が目を開いて見たものは、真っ黒な鎧を着た騎士の背中だった。騎士は手の仕草で俺を制した。動くな、だろうか。

次の瞬間、騎士が踏み込んで剣を振るう。また金属音がして、激しい格闘が始まった。騎士が剣を振るうたび、金属音と青い光の軌跡が静寂の中に散る。幽霊は長い腕を鞭のように振るい、騎士の攻撃に対抗していた。金属音が不思議なハーモニーを奏でる。夢の中のような光景だった。

騎士の一撃が幽霊をとらえた。幽霊の左腕が肘の辺りから切り落とされる。切り口からどす黒い液体が飛び散る。黒い騎士は止めをさすべく踏み込む。が、幽霊は不意に姿を消した。

次の瞬間、そいつは俺の目の前にいた。背が高い。真っ赤な眼が俺を見下ろす。殺気。これは殺気というやつに違いない。幽霊の右手が俺の首に伸びてきたが、幽霊は一瞬、躊躇したような挙動を見せた。

鋭い金属音と突然の衝撃で俺は地面に投げ出された。慌てて起き上がる。

決着がついたようだった。騎士の剣は幽霊の顔面を刺し貫いている。ひとつ眼の赤い輝きはだんだん薄れていく。騎士も無傷ではなかった。幽霊の最後の一撃が騎士の脇腹に食い込んでいる。鋭い爪が鎧を掴み、めりこんでいた。しかし、幽霊はほどなく崩れ落ち、どす黒い液体に溶けていった。液体はアスファルトに染みのように広がったが、やがて吸い込まれるように小さくなって消えた。

世界に音が戻る。耳鳴りが襲う。黒い騎士は脇腹を押さえると、膝からくずおれた。駆け寄ったものの、どうしていいかわからずに戸惑っていると、ブンと音がして、鎧の表面を青い光が走る。そして黒い鎧は黒い紐の束に変わり、ほどけてするすると消えてしまった。その様子も冗談みたいだったが、鎧から現れた人物はさらに衝撃的だった。

春原メイ。

「うわっ、大丈夫かっ」

そんな台詞を吐いてはいたものの、俺はすっかり動転して混乱していた。制服姿の春原は気を失っているようだった。いったいどういうことなんだ。なんだこの超常現象。慌てて春原を抱き起こそうとしたところで誰かに声をかけられた。

「お静かに。人が集まります」

いつの間にか初老の男性が立っていた。今日は不意を突かれてばっかりだ。

「私はアルフレッド、春原家の執事です」

「春原さんは大丈夫なんですか」

アルフレッドさんは屈みこんで春原の様子を調べた。

「ええ、少々きわどかった、と言わざるを得ませんが。初陣にしては上出来です」

深刻なダメージを受けたように見えたのに、見てわかるような怪我はしてないようだった。アルフレッドさんが春原の耳からイヤフォンを外す。なんでこんなものつけてるんだろう。イヤフォンのプラグは黒くて四角く細長いメモリスティックみたいなものに接続されている。アルフレッドさんはジャケットのポケットにそれをしまい込んだ。

「えーと、俺は……古谷、古谷秋比古、です」

「存じております。さあ、急いでお嬢様を運ぶことにしましょう」

俺は春原を背負ってアルフレッドさんについていった。助けてもらったんだから俺が背負っていきます、というとアルフレッドさんはにっこり頷いた。三つ揃いを完璧に着こなしたアルフレッドさんは、

「この格好ではいささか目立ち過ぎますな。土地に合ったスタイルにしないと」

と、完璧な日本語で言う。春原といい、なんでこんなに日本語が自然なんだろう。だが今はそんなことはどうでもいい。

黙々と歩く。小柄な春原は軽い。この女の子があんな物騒な黒い鎧を着てわけのわからない化物と戦うなんて、いったいどんな事情があるんだ?アルフレッドさんに聞いてみたかったが、今は黙っておくほうがいいような気がした。

淡くて甘い香水の香りがして、急に春原の柔らかい感触が気になってきた。よく考えたら酔っぱらった姉ちゃん以外の女の子を背負うなんてはじめてだ。うわちょっと待って。

「ところで、どこまで行くんです?」

耐えられなくなって会話を切り出す。

「自宅まではあと少しです」

と言いながら、俺んちがあるマンションにアルフレッドさんはすたすた入っていく。呆気にとられる俺に、

「いかがされましたか。お入りください」

と、オートロックのナンバーを入力しながら言った。

春原の家は最上階だった。最上階は他のフロアと構成が違ってるみたいで、春原宅は俺が住んでるとこよりずっと広い。

「少々手違いでこういう住居になってしまいまして。狭苦しさはご容赦のほどを」

「……俺んちはここの下のほうの階にあるんですよ」

「おや、これは大変な失礼を。こちらでは一般的な住宅なのですね」

通されたリビングには高そうなアンティークのインテリアが使われていた。ソファに春原を下ろす。緊張で背中がガチガチになってしまった。アルフレッドさんが、失礼しますよお嬢様、と上着を脱がせて、怪我がないか改めて調べだした。

「少し痣になっているかもしれません」

アルフレッドさんはそう言ってブラウスのボタンも外しだしたので、俺は目のやり場に困り、慌てて後ろを向いて腕組みしていた。

「古谷様にはいろいろお話しないといけないのですが、お嬢様がこの状態ですので。大変失礼なのですが、今日はお引き取りいただいてよろしいですか。後日改めてうかがう、ということで」

俺は挨拶もそこそこに、そそくさと春原宅から退出した。俺としても聞きたいことは山ほどある。しかし、今夜はいろんなことがいちどに起こり過ぎていた。

エレベーターを降りて自宅のドアを開ける。また鍵が掛かってない。まったく。リビングでは、一升瓶を枕に姉ちゃんが寝息をたてている。いつものことなんだけど、未婚の女性がこんなことでいいんだろうか。

「ん?……あー、お帰り、遅かったのれ」

「姉ちゃん、呂律が回ってないよ」

「はら?そう?んー、また飲みすぎたかひら」

姉ちゃんは一升瓶の中身の減り具合を確かめている。

「あー、ごはん。ソース作っといたらら、ペンネ茹でて食べてね。サラダは冷蔵庫」

「うん、ありがと」

姉ちゃんの作るトマトソースは絶品だ。その酸っぱい味は、異常な一日を少しだけ日常に戻してくれた。

3 みんなの秘密

よく眠れなかった。

姉ちゃんはいつもどおりの二日酔いで、エスプレッソにどぼどぼと砂糖を投入している。俺はベーコンエッグとトーストを二人分作ってテーブルに置いた。

両親が外国に行っちゃって、姉ちゃんと二人で暮らすようになって一年になる。

「ほら、姉ちゃん食べて」

「んんん〜、今日はきっついわぁ」

「いつものことだろ、それ」

「わかってるわよぉ」

姉ちゃんは俺が朝食を食べるあいだ、漫然とベーコンエッグをつつきまわしていた。そしてエスプレッソを一気に空けると、こんどは冷蔵庫からスパークリングウォーターのボトルを取りだしてぐいぐい飲みはじめた。

「学校は?」

「いいのぉ、午前中は自主休講」

大学生って羨ましい……のか?俺は適当に自分の分の皿を片付け、ギターを抱えて家を出た。

よくよく考えてみれば当然予想できる事態だったんだけど、俺はまたしても不意を突かれた。春原メイ。エレベーターのドアが開くと彼女がひとり、立っていた。俺はとりあえずなんとなく、おはよう、と声をかけてふたりきりのエレベーターに乗り込んだ。この時間に他に誰も乗ってないなんて珍しい。やべ、なに話したらいいんだよこれ。

「昨夜はありがとうございました」

春原がドアのほうを向いたまま言う。

「いや……こっちこそ助けてもらったみたいで……その」

「使命ですから。気にしないで」

それっきり会話が途切れてしまった。昨日と同じ、甘い香水の香り。柔らかい感触を思い出してどぎまぎする。なにをうろたえてるんだ俺は。

別々にってわけにもいかず、マンションを出て学校までの道のりを並んで歩く。

「怪我とか、大丈夫?」

「ええ。すこし痛みますけど、大したことは」

「転校してきた前の日にも学校に来てた?」

「ええ」

また途切れる会話。

校門近くでばったり鈴音に会った。

「あ……お、おはよう」

「おはよ」

「おはようございます」

なんで俺は動揺しているんだ。鈴音はきょとんとした顔で俺と春原を交互に眺めて、ふ〜んと鼻を鳴らしてそのまま去っていった。おい、その微妙な反応はなんだ。

「山吹さん、ですよね」

「うん」

「彼女とは仲良しなの?」

「えっ……うちのバンドのリーダーなんだ」

「そう……」

春原はそれだけ言って校門をくぐる。俺は慌てて後を追いかけた。

昼休み、唐沢が猛然と詰め寄ってきた。

「アキ、おまえ、春原と一緒に登校してきたんだって?」

こいつはかわいい女の子のことになると、ほんと情報が速い。

「家が同じマンションだったんだよ」

「なにその萌えるシチュエーション」

「知るかっ」

唐沢は、はぁと溜息をついて、心底がっかりした顔になった。

「いいなぁ、なんでおまえばっかりかわいい転校生に縁があるのさ。不公平だよ」

和彦は、まったくだという顔で頷いている。俺だってわからない。

春原と鈴音はそれぞれの女子のグループで弁当をつついている。春原はサンドイッチ、鈴音はそぼろご飯。ふたりとも笑顔で談笑に加わっている。

「まったく、どっちがいいかなんて贅沢なこと考えてんじゃないだろうな」

「やかましい」

俺は売店のコロッケパンをかじった。

バンドの練習はいつもどおり、とはいかなかった。展開を間違えることがいつも以上に多く、真古都ちゃんに、

「アキさん、なんだか今日はぼんやりしてません?」

とか突っ込まれる羽目になった。いえいえ、いつでも俺はぼんやりしてます、と適当な受け答えで笑いを取っておく。鈴音はいつもどおり、にこにこジャガーをかき鳴らしていた。

家に帰るとさらに強烈な展開が待ち受けていた。ドアを開けるとなぜか楽しげな笑い声が聞こえてきて、ちょっと嫌な予感。姉ちゃんがぱたぱたやってきて、

「ねえねえ、メイちゃんってあんたの彼女?かわいいワァ、お人形みたいねっ。執事さんも一緒に来てるよ、お金持ちなのねー」

「へ?」

俺は目が点になった。リビングでは、春原が自分の家みたいな落ち着きで紅茶を飲んでいる。

「お邪魔してます。アルフレッド、お茶を用意して差し上げて」

立ちつくす俺。姉ちゃんはケーキをぱくついている。

「うーん、おいしいタルトね……駅前の洋菓子屋さんなんか目じゃないわ」

「お嬢様の手作りでございます」

「ほんとに?うん、これはすごい」

「ありがとうございます」

春原はにこやかに言う。

事の次第はこうなっていた。春原が学校からの帰り道、貧血で倒れていたところに俺がたまたま通りかかり、介抱して家まで送ってくれた。それで大変近所だということがわかり、こうして挨拶にやってきた。これもなにかの縁、末永くお付き合いうんぬん。完全にデタラメってわけでもないけど、おおむね作り話だ。まあ、あんなこと人に言えるような話じゃないのは確かだ。警察に行ったところで、幽霊に殺されかけたなんて、信じてもらうだけで一苦労だろう。アルフレッドさんは改めて話す、と言っていた。どうもなにか秘密があるみたいだった。

なにも知らない姉ちゃんは感心して、

「アキったら意外と男らしいとこあるんだー、へ〜」

なんて言ってる。春原の視線がプレッシャーをかけてくる。俺は苦笑い。ごめんよ姉ちゃん、ほんとのことは黙っていないといけないらしい。

「メイちゃんも五月生まれなのね。わたしもそうなの、だから皐月って名前にしたんだって」

「わあ、おんなじですね。May は五月って意味なんです」

「おおーっ、やっぱりそうなんだ。似た者同士ってわけだぁ」

メイと姉ちゃんはすっかり意気投合している。俺は微妙な居心地で、とにかくタルトをつついていた。うまい、んだけど、味わってる心の余裕がない。

ひとしきり談笑してから春原とアルフレッドさんは帰っていった。

「うん、じゃ、春原さん、また学校で」

「メイ、でいいわ。おやすみなさい、アキ」

遅い夕飯では姉ちゃんが大はしゃぎだった。いじりを適当に受け流して、さっさと自分の部屋に退散する。Mac を起動して iTunes をシャッフル再生。流れてきたのは The Cardigans の『Sick & Tired』。むう、俺の気分を察したか。ベッドに転がって枕に顔をうずめる。疲れた。ここ二日でいろんなことがありすぎだ。

中学の頃は家を出ることばっかり考えていた。俺はあんまり両親のことが好きじゃない。父さんは仕事で成功した大人の趣味人で、夫婦仲も円満。絵に描いたようないい父親。だけど、その完璧さが俺には窮屈だった。自分の影ばかり際立ってくるから。重圧を感じていた。俺には人並み以上にこなせる自信のあることなんかひとつもない。勉強もいまいち、運動もいまいち、ルックスもいまいち、そして音楽もいまいち。こんな気持ちは思春期のお約束なんだろうか。最初のギターとレコードの多くは親父譲りのものだ。そういう意味では感謝してる。でも、離れたくてしかたなかった。今弾いてるメキシコ製のテレキャスターは去年の夏頃にバイトして買った。親父に頼めばあんまり弾いてないレス・ポールを譲ってくれただろう。しかし、俺は自分の力で自分のギターを持つ必要があった。自分のために。幸か不幸か、親のほうから俺から(物理的に)離れていってくれた。両親だけドイツに行くってことになったとき、ほっとしたのを覚えている。それが去年の年末の話。

次に流れてきたのは Sonic Youth の『Teen Age Riot』。サーストンの叩き付けるようなギターリフ。ポジティブに考えれば、ここ最近の出来事は願ってもない冒険の始まり、と言えなくもない。そう思うことにしよう。うん……

4 屋上の事件

しばらくはなにごともなく過ぎていった。命の危機を感じるようなことはなかった、っていう意味で。

メイと俺は成り行きで一緒に登校するのが日課になってしまった。朝っぱらからチャイムを鳴らすヤツは誰だと思って玄関のドアを開けると、メイだった。

「ご迷惑じゃなかったら、一緒に学校いきません?」

笑顔で俺を急かす姉ちゃんの言外の圧力を背中に感じながら俺は家を出た。それ以来、メイは毎朝迎えに来る。そして俺は、ホームルームがはじまるまで広和と唐沢の妬みにさらされるのだった。

メイは昼休みや放課後の空いた時間に、俺に学内をあちこち案内させた。登校するときと同じでメイはあまり雑談というものをしない。俺もなにを話していいのかよくわからないから、基本的に黙々と歩き回るだけだ。そして時折じーっと部屋を眺めたあとで、俺を質問責めにするのだった。

「視聴覚室ってなにをするところなんですか?」

「なんか、ビデオ観たりとか。あんまり使った記憶がないけど」

「設備はわたしたちの教室よりずっと立派なのに、なんであまり利用しないのかしら?」

「うーん、なんでだろうな」

「不思議です。ここじゃ立派なところに限って放ったらかしなんだもの。考えられない」

「メイの前の学校はどうだったんだ?」

「……そうね……生徒には常に最高の装備を。そうでないと、すべてが終わりだった」

「えっ?」

メイはまた歩き出していた。俺は慌ててついていく。

屋上に出た。放課後もだいぶ遅い時間になってきているので、生徒の姿はない。メイは中空を睨んで微動だにしない。緊張感が伝わってくる。俺は目を凝らしてメイの見ているものを見ようとした。が、なにもない。

「アキ、あなたは感じる?」

「なにがなんだか、さっぱり」

メイが視線を変えずに俺になにか差し出した。イヤフォンと黒いスティック。幽霊に襲われたとき、メイがつけてたやつだ。

「これをつけて。アイソレーションフィールドに捕らえられても動けるから」

あいそれーしょん?いったいなんのことを言ってるかさっぱりだったけど、嫌な予感に従って俺は言われたとおりにした。イヤフォン越しにメイの声がする。

「来るわ」

不安げなコードがイヤフォンから聞こえる。なんだこれは。ピリピリした風が吹き抜けて、周りの空気が変わる。これは、あの夜と同じ。

「これは……」

メイは胸元から黒いスティックを取り出し、右手に握った。スティックから黒い帯が伸びて、メイの体を覆っていく。帯はメイを完全に覆ってしまうと硬化して、漆黒の鎧に変わった。あの夜の黒い騎士。

夕暮れ時なんだけど、妙に光が紫っぽい。イヤフォンから聴こえる不協和音がますます強くなる。激しい金属音が響いて、紫色の空間になにかが現れた。黒い半透明の人形。前のヤツに似てるけど、こいつは四つ眼だ。体の表面を、薄いピンクのオーラが覆っている。両腕の先には長い刃のようなものがついている。なんか、見るからに物騒なんですけど……

「なんてこと、戦士タイプなんて!」

「えっ?」

メイが剣を構える。

「アキは逃げて。ここはわたしが食い止めるから」

「ええっ?」

「あとのことはアルフレッドに」

猛然とメイが飛び出していく。なんだ、その思わせぶりな台詞。まるでこれが最後みたいじゃないか。

流れるようなメイの剣さばきを、四つ眼の幽霊は両腕の刃で受け流していた。メイの剣が大きく弾かれ隙ができたところに、四つ眼の鋭い突きが入った。メイはとっさに剣で突きを受けたが、体は後方へ大きく弾き飛ばされた。四つ眼が致命的な一撃を加えようと踏み込む。

まずい、と思った瞬間、俺は駆け出していた。持っていた鞄を四つ眼の顔めがけて投げつける。鞄はいとも簡単に切り裂かれた。あう、もうちょっと苦労してくれよ。そう思いながら俺は四つ眼に思いきりタックルをかました。斬られる、と思いきや、四つ眼はなにかに押し戻されるように後退した。あれ?

俺と四つ眼の間に割って入ったメイに突き飛ばされる。俺は尻餅をついて、そのままごろごろ転がった。

「あいたっ!」

「アキ!なんて無茶するのっ」

「だって……」

「こいつはわたしを狙ってきたの、だからわたしがなんとかするわ。だから、離れて!」

はじめてイヤフォンからまともなハーモニーが聴こえてくる。

「えっ?」

「へ?」

メイが再び四つ眼と剣を交える。

「アキ、聴こえてる?」

「なに、なんだよ!」

「アキは楽器ができるよね」

「あれでできるって言うならなー!」

「だったらイメージして。曲は聴こえてるはずだからっ」

メイはミドルキックをまともに受けてしまい、コンクリートに叩きつけられた。

「メイ!」

チクショウ、どうしろっていうんだ。とにかく集中しろ、するんだっ。イヤフォンからはさっきより安定したフレーズとリズムが聴こえてくる。深呼吸をひとつ。これでなにをイメージしろっていうんだ。深呼吸をもうひとつ。メイは楽器が弾けるでしょって言った。ギターを持ってたら、俺はどう弾くだろう?

イヤフォンからギターのコードらしきものが聴こえた。四つ眼がなにかの衝撃を受けて、怯んだ。

「……ごほっ、そのまま続けて!」

ところどころ音が合わない。だけど、だんだんうまくいってる気が、する。

四つ眼の周りをなにかが飛び回ってる。黒い短剣?それが四本。ふと見ると俺の首にぶら下げた黒いスティックが変形して、新しい、ちょっと不細工な短剣をもう一本作ろうとしている。短剣たちは聴こえてくるビートに合わせて次々に四つ眼に襲いかかっていた。

隙ができた四つ眼に、体勢を立て直したメイが斬りかかる。メイの剣は、短剣に気を取られていた四つ眼の幽霊をきれいに十字に切り裂いた。赤黒い血液が切り口からほとばしり、グラスの砕けるような音とともにその姿が崩れ、溶けていく。

世界は元の夕暮れのオレンジに戻っていった。変身(でいいのか?)の解けたメイが俺に駆け寄ってくる。ああ、助かった、のか。

「アキ、アキ!」

俺の最後の記憶はオレンジ色に滲んだ夕日。

5 世界のこと

白い教室。誰かがギターを弾いてる。アコースティック。曲は……Slowdive の『Dagger』、かな。開け放たれた窓から風が吹き込んでいる。外の光が眩しい。弾いてるのは誰だろう。椅子に座ってる女の子の顔は逆光でよく見えない。女の子?そうだ、この歌声は女の子。落ち着いた透き通る歌声。風になびくのは短い髪。細い首筋がシルエットになってて……女の子が演奏を止めて、立ち上がる。ゆっくりこちらを振り返ると、彼女は金色に輝く瞳。教室が青い光に包まれて……

「鈴音?」

目が覚めた。知らない天井だった。強烈なタックル。泣きじゃくった姉ちゃんだった。

「わあぁぁぁん、よかったあぁぁぁ〜」

「ちょっと、姉ちゃん、苦しいって……どうしたの」

「だってだってだって……」

「丸一日、眠り続けていらっしゃいました」

アルフレッドさんの声。頭を動かすと、アルフレッドさんに支えられて、口を固く結んだメイが立っていた。そっか、俺は気を失っていたんだ。

「メイ……大丈夫だったんだ」

自分の声が擦れてる。メイは目を伏せたままだ。

「……あの……ありがとう。ほんとに、ありがとう」

「……えっと……俺、なんかしたっけ?」

「アキが助けてくれなかったら、わたしは勝てなかった。死んでいたかもしれない」

「……俺が、メイを助けた?」

メイはやっぱり伏し目がちに、こっくり頷いた。

「だから、アキと皐月にはほんとうのことをお話ししなきゃいけないんです。……ほんとは、もっと早く話しておくべきだったんだけど……わたし、迷っちゃって……だから……試すようなことして、ほんとにごめんなさい」

記憶が戻ってくる。ああ、なんかとんでもなく無謀な行動に及んでいたよーな……

「とても信じられないかもしれないけど……わたしの話を聞いて欲しいんです」

俺は体を起こそうとしたが、アルフレッドさんに止められた。まだお体に障ります。

「なにか食べるものを用意しましょう」

アルフレッドさんは奥へ引っ込んでいった。

メイはすぅ、と深呼吸すると、きっぱりした表情で語りはじめる。

「わたしとアルフレッドはこの世界の人間じゃありません。別の宇宙にある地球からここへやってきたんです」

俺と姉ちゃんはいきなり目が点になった。メイはやっぱり、と肩をすくめた。

「こちらではまだ発見されていないんですよね。宇宙はひとつしかないわけではなくて、同じような構造を持った宇宙がいくつも並行して存在しているんです。このことはわたしたちの宇宙では五十年ほど前に発見されました。自分たちの宇宙のことをわたしたちは〈ファースト〉って呼んでます。呼び名は単にわたしたちが発見した順番ってだけで、深い意味はないの。アキたちのいる宇宙は〈サード〉。わたしたちは〈フィフス〉まで確認しています。それぞれの宇宙は境界領域と呼ばれる領域で繋がっていて、わたしたちはここを通ってほかの宇宙にある地球と接触することに成功しました。宇宙と宇宙は基本的によく似てるんだけどディテールはかなり異なっています。例えば文明」

メイが指でなにかサインを描くと中空に映像を映すスクリーンが現れた。テレビで見るような中世ヨーロッパの田園風景が映っている。城らしきものが見えるが、それは俺が知っているものよりずっと大きくて構造もやたら複雑だった。

「これがわたしの故郷。あなたたちの言う剣と魔法のファンタジー世界によく似てるんじゃないかな。あなたたちの地球では錬金術みたいなテクノロジーが発達して工業文明を栄えさせているけど、わたしたちの世界ではもっと精神的なもので文明が発達しました。つまり、魔法です」

アルフレッドさんが山ほどワッフルを持ってきた。スクリーンには、映像でもその巨大さがわかる四角い塔が映し出されている。

「これが〈ウィザードの塔〉。わたしたちの魔法研究の中心地。こういう塔が各地にあって、マナ−−簡単にいうと魔力のことです−−その流れを集約して、精神ネットワークとマナラインを構成しています。膨大な魔法知識もここに収められています。ほかの宇宙の存在は、いちばん勢力の強い赤の塔の大ウィザード、ツベルクによって発見されました。最初に接触に成功したのは〈セカンド〉で、そこでは〈ファースト〉と同じように魔法が発達していました。接触は大事件だったそうです」

金の服を身に纏った、色黒の背の高そうな人たちの映像。〈セカンド〉の人たちだろうか。

「コンタクトは幸運にも非常に友好的に行われました。〈セカンド〉のシャーマンたちはとても賢明でした。当時はまだ直接行き来することはできなくて、オーバーシアーというウィザードたちがテレパシーで交流を図っていました。オーバーシアーや〈セカンド〉のシャーマンは、意識だけを遠くへ飛ばして探索するのが得意なんです。〈セカンド〉との共同研究でわかったのは、宇宙同士がこれほど似ているのはもともと同じ宇宙から生まれたコピーだかららしいということでした。この未発見の仮説上の大元の宇宙は〈ゼロ〉と名付けられました」

メイプルシロップのかかったワッフルはとても甘く、すぐに胸焼けしてきた。メイは続ける。

「宇宙間で物質が移動できるようになったのは二十年ほど前のことです。最初にこれを試みたのは緑の塔の大ウィザード、イェリネクでした。彼はいくつかの非生物を〈セカンド〉とやりとりしたあと、自ら実験を行って〈セカンド〉へ行きました。彼は成功し、歴史に名を残すことになりました。そのおかげで〈セカンド〉との間に宇宙間を移動するハイパーゲートのネットワークが確立し、人やものが頻繁に行き来するようになったんです。素晴らしい進歩でした。でも、いいことばかりじゃなかった」

ひとつ眼の幽霊の映像。

「俺とメイが戦ったやつだ」

メイは頷いた。

「この怪物をわたしたちはファントムって呼んでます。十年ほど前から各地の塔の付近で目撃されるようになりました。ファントムは謎が多い種族です。どうやら宇宙と宇宙の間の境界領域からやってくるらしい、ということしかわかっていません。最初のうちはなにもしてこなかったのですが、ある日、大軍で緑の塔に侵攻してきたんです。強力な戦士タイプも含まれてて、軍隊を出しても対応しきれなかった。緑の塔は占拠されて、マナの流れも乱れました。イェリネクはこの戦いで命を落としてしまいました。緑の塔はハイパーゲートに関する研究の本拠地で、彼は〈セカンド〉のシャーマンで共同研究者で恋人のアマラと、そこに住んでいたんです。窮地に陥ったわたしたちは早急な戦力の増強に迫られました。そして、ファントムと戦うために結成されたのが黒騎士団」

十二人の黒い鎧の騎士が丸いテーブルを囲んで座っている映像。鎧の縁は様々な色の光で縁取られている。

「……アキはもう知ってるよね」

メイは胸元からあの黒いスティックを取り出した。

「これはクリスタル。〈ファースト〉では魔法を使うのにこういうものを使います。魔法をそのままの形で発動させるには特別な環境と才能が必要で、昔は伝説的なウィザードでもない限りそんなにすごいことはできませんでした。せいぜい小さな火をつけたりとか、石を遠くへ飛ばす程度のこと。魔法を封じ込めたこういうクリスタルが発明されたことで、ほんの少しマナを操れれば誰でも強力な魔法が使えるようになったんです。大発明でした。クリスタルにはいろんな種類があって、〈ファースト〉では日常生活に欠かせない道具になってます。例えば、これは照明」

メイは別の白いクリスタルを取り出して、頭上にかざす。天井近くに白い光がぽっと灯る。

「この黒いクリスタルは黒騎士のために〈セカンド〉のシャーマンたちと塔の大ウィザードたちが協力して開発した強力なもので、対ファントム戦用の装備がいろいろ収められています。その中でも強化された鎧と音響武器は黒騎士の象徴でもあるんです」

「そのクリスタルをメイちゃんが持ってるってことは……」

姉ちゃんが呟く。

「そう。わたしは黒騎士」

クリスタルがするすると変化して、メイの手に細身の剣が握られた。右腕は黒い金属質な篭手で覆われている。剣の刀身に沿って時折青い光が走り、柔らかくて金属的な和音を響かせている。

「まず最初に十二個のクリスタルが作られ、十二人の騎士に託されました。そして、その最初の十二人の騎士を筆頭に各黒騎士団が編成されました。団長は黒騎士団の創立者のひとりで、イェリネクのパートナーでもあったアマラ様です。アマラ様は強力なシャーマンで、黒騎士のクリスタルの基本設計は彼女の手によるものです。わたしたちは反撃を開始しました。壮絶な戦いの結果、緑の塔は取り返すことができたけど、払った犠牲は大きかった。たくさんのウィザードと騎士が犠牲になった……」

メイは言葉を切った。なにか考え込んでいるようだった。短くて重い沈黙。

「わたしがこの〈サード〉に派遣された理由は、ある調査のためです。一年ほど前、オーバーシアーが大きなマナ共鳴を観測しました。それは記録にないくらい大規模なもので、塔の精神ネットワークを一時的に麻痺させるほどのものでした。オーバーシアーの探査でわかったことは、発生源はここ〈サード〉にあって……」

メイはすこしためらった。

「その発生源は……〈サード〉にいるある人物。それは山吹鈴音」

「へ?」

俺の手から握ったままだったフォークが落ちた。

「わたしの任務は山吹さんが何者か調べること。ファントムたちの狙いもおそらく彼女です」

鈴音がそんなわけのわからないなにか、だって?んなアホな。

「鈴音はどっからどうみても普通の人間の女の子みたいなんだけど……」

メイはちょっと困った顔をした。

「そうなの。学校にいる範囲では異常はなにも発見できませんでした。ほかの宇宙からやってきた可能性も考慮したけど、そういう痕跡は一切なかった」

「ふーむ……」

「でも、ファントムが動いている以上調査を続ける必要がある。ファントムたちはわたしたちの知らない、なにかを掴んでるみたいなんです、悔しいけれど。それでね……」

「それで?」

「アキ、あなたにも手伝ってほしいの」

「え?」

「あなたは、わたしと同じ種類の人間だから」

どういうことだ?ますます目が点になっている俺と姉ちゃんを見て、メイが続ける。

「クリスタルはあらかじめインストールされた魔法しか使えないものなんです。黒騎士のクリスタルはすごく強力だから誰にでも扱えるものじゃないんだけど、もともとインストールされてる魔法しか使えないのはほかのクリスタルと同じなの」

メイは俺をまっすぐ見て話し続ける。

「アキ、わたしたちがファントムに襲われたとき、あなたに渡したクリスタルは緊急用の保護機能が作動するようにセットしてあったの。行動不能になった騎士とクリスタルを守るためのものよ。でも、あなたは自分の力で、黒騎士のクリスタルを完全に起動させて、本来装備されてないはずの武器まで創りだした。並のウィザードにできることじゃない」

あの黒い短剣のことか。俺は意図してあれを出したわけじゃない。ただの偶然だと思ってたけど、違うのか?

「魔法を使うにはマナが必要なんです。〈ファースト〉ではクリスタルと、それをサポートするマナライン−−マナを送る電線みたいなものよ−−のおかげで誰でも魔法が使える環境が整ってはいるんだけど、マナは本来、自己の精神と自然から抽出されるものなの。個人個人の扱えるマナの量には限度があるんだけど、稀に極めて大きい量のマナを扱える人間が産まれるんです。そういう人間をわたしたちはネイティブと呼んでます。わたしもそのひとり」

それって、メイはものすごいエリートってことなんじゃ?

「ネイティブのウィザードは、自分の潜在マナを一気に解放することで、普通の術者では扱えないような特殊で強力な魔法を使うことができるんです。かつての伝説的なウィザードのように。アキがやったことは、まさにそれだった」

「俺が?」

「そう、あなたもネイティブなの、アキ。わたしと同じ。あなたの力が、魔力が固定されてるはずのクリスタルを変化させたの」

「……」

「今まで気づかなかったのも無理ないわ。〈サード〉では魔法は衰退してただの占いレベルになってるし、マナの流れもすごく弱いんです。だから、わたしもネイティブの存在はぜんぜん予想してなかった」

言葉が出なかった。

「アルフレッド、あれをアキに」

アルフレッドさんは、厚手の柔らかい布でできた巾着を俺に差し出した。中には、黒いクリスタルとイヤフォン。

「これを受けとってほしいの、アキ」

「えっ、俺が……」

メイがすぐに遮った。

「ええ、突然こんなこと言って、戸惑うだけだってわかってる。でも受けとってほしいの。ネイティブのあなたにはそれを持つ資格がある」

「うん……」

ストラップにぶら下がる黒いクリスタルはどこまでも滑らかだった。こんなに透き通るように黒いものはほかに知らない。

「きれいだね」

「それはわたしが作ったの。仕上げはオリジナルの優雅さにはとても及ばないんだけど……機能はまったく同じ。ひとりでクリスタルをコードから組み上げられるのが、わたしのネイティブとしての能力なの。そういうウィザードはビルダーって呼ばれてる。〈サード〉に派遣する騎士にわたしが選ばれたのは、このネイティブビルダーとしての能力が評価されたからよ。普通は専用の大きな工房で作られるものなの」

メイはちょっと照れくさそうに言ったが、すぐに元の真剣な表情に戻った。

「ファントムたちはあまり表立って行動は起こしていない。理由はわからない。〈サード〉ではマナが不活性だからかもしれない。でも、わたしの存在は知られてしまって襲撃を受けた。戦いははじまってる」

メイの表情が厳しくなる。

「わたしはアキや皐月を巻き込みたくなかった。わたしひとりで解決できる問題だと思ってたんだけど、間違ってた。アキを危険な目に遭わせて、皐月を心配させて。そのうえ二回もアキに助けてもらって、こんなお願いまでしてる。騎士として失格。でもね……」

「でも?」

「わたしの故郷は危機に陥ってる。緑の塔は取り返したけど、ファントムたちは定期的に各地の塔を襲撃してるの。わたしは、わたしの故郷のために少しでもいいから役に立ちたい。お願い。力を貸して、アキ」

同い歳の女の子の台詞とは思えない、切実な響きがそこにあった。

「すこし……すこし考えさせてもらえるかな……」

俺は、しばらく間を置いてそう答えた。まかしとけ、なんてとても言えなかった。メイはうつむいて聞いていたが、俺の煮え切らない返事に笑顔で答えた。

「わかったわ。ごめんね、変なお願いして。もうしばらく眠ったほうがいいわ。いきなりあれだけのマナを使うと、精神の休息が必要なの」

俺はまた急に強烈な眠気に襲われた。メイ、ごめん。

メイの家で、俺はまた一昼夜眠り続けた。別にどこか悪かったわけではなく、マナの回復に必要な休息なんだそうだ。それほど強力な力を俺は使っていた、ということらしい。アルフレッドさんのやたら念入りな検査(だと思う)の末に許可が出て、ようやく自分の家に戻った俺と姉ちゃんは、黒いクリスタルを挟んで無言だった。

「……あのね、アキ」

姉ちゃんが沈黙を破る。

「なんか大変なことになってるみたいだけど……あんたの決めることに、お姉ちゃん口出したりしないから。好きなようにしてくれていいんだよ」

「……ありがと」

「……メイちゃん、いい子だよね。ずっとアキの側に付いててくれてたんだよ」

「そっか……」

「わたしにもいろいろきちんと話してくれたし。よくわかんないことばっかりだったんだけどね」

「うん……」

「山吹さんもかわいいんでしょ?」

「うん……って、なんだよ急に」

「アキったらモテモテだねえ。わたし、びっくりだよ」

「……ほっといてよ」

会話はだんだんどうでもいい方向に流れていったが、視線はテーブルの黒いクリスタルから離れなかった。

「……今日はとりあえず、もう寝る」

「そっか、もうそんな時間か……」

俺はクリスタルを取って立ち上がった。

「おやすみ」

「おやすみ」

あれだけ寝た後だし、そうそう寝つけるもんじゃなかった。ギターを抱えたままベッドに転がって、漠然とコードを鳴らす。メイの話を思い返す。メイたちの世界をファントムが脅かしてること。鈴音がなんかすごい存在らしいということ。メイやファントムは、それを調べるためにやってきたこと。俺はネイティブとかいう、なんかすごい能力者らしいこと。

そんなことをぼんやり考えつつ、鈴音のことを考えた。俺の知ってるあいつは、たしかにちょっと変わってるかもしれないけど普通の女の子だ。音楽の才能はちょっとずば抜けてるけど、成績は俺よりちょっと上くらいだし(つまり中の上。鈴音は自分が興味のないことはまったくやろうとしない。そして科目の大半に興味がない)、運動もそれなり(機敏そうな体格なんだけど。これもやる気の問題なんだろうか)。彼女ってわけじゃないし、立ち入った私生活まで知ってるわけじゃない。そういや鈴音とはプライベートな会話というのはほとんどした覚えがなかった。夏休みに連絡を取るのにメールアドレスは交換してたけど、用事があるとき以外メールなんか送ってきたことがないし、俺も送らなかった。真古都ちゃんはなにかしらちょこちょこ送ってきてたのだけど。誠太郎は……言わずもがな。

ああ、携帯。放ったらかしだ。受信フォルダには、広和と唐沢、真古都ちゃんから。そして、鈴音。緊張しながらメールを開いてみる。ひとことだけ

「大丈夫?」

と書かれていた。そういえば練習、行けなかったな。寝込んでるうちにもう土曜日だ。

メイ。メイは、月曜もうちに来るだろうか。

6 ぎこちない復帰

月曜の朝、メイはいつもどおり、俺を迎えにきた。俺も姉ちゃんもほっとしつつ、なんだかぎこちない感じだった。

ふたりとも無言のまま、前を向いて俯きかげんに歩く。空気が重い。

「……」

「……」

なにか喋らなきゃ、というプレッシャーがかかる。

「あのさ……」

「あの……」

かぶった。ふたりで顔を見合わせる。メイがこちらを見上げてにっこり笑った。

「ちゃんと出てくれて、安心しました」

「ははは……」

俺は苦笑いを返す。

校門で真古都ちゃんに見つかった。向こうからすごいスピードで走ってくる。中学時代はサッカーをやってて、快速フォワードで鳴らしたそのストライドは実にパワフル。

「アっ、アキさん!大丈夫だったんですか、心配してたですよっ!」

真古都ちゃんは荒い息のまま言った。

「あ、うん、ちょっと、風邪がこじれちゃって……」

「メールの返事も来ないから、よっぽど悪いのかなって。あっ、春原さんオハヨウゴザイマス」

メイもおはようございます、と挨拶を返す。背の高い真古都ちゃんとメイが並ぶと、大人と子供みたいだ。

真古都ちゃんがひそひそ声で耳打ちしてくる。

「鈴音さん、アキさん休んでるとき、びみょーに機嫌悪かったデスヨ」

「え?」

「ええ、ええ。溜息ばっかついてマシタ」

「それって、どういう……」

真古都ちゃんはニンマリ笑って、

「ちゃんとフォローしないとダメですよ〜」

と言い残して、これまたすごい勢いで去っていった。

教室に入って席に着くと、広和に声をかけられた。

「おー、生きてたか」

「まあな」

何言か言葉を交わして、席に着く。唐沢は本当に風邪でダウンらしい。流行ってるのか。メイは女子たちに挨拶しながら荷物を片付けていた。

突然、頭頂部にバシッと衝撃。痛いっ。見上げると、バインダーを持った鈴音だった。

「いきなりなにするんだよっ」

「あげる」

「?」

鈴音が差し出したバインダーは、ノートのコピーだった。

「あ、ノートなら……」

と言いかけたところで、踵のあたりをなにかで強打された。

「い!……」

「どうしたの?」

「い、いや、なんでもない。ありがと」

「うん」

鈴音はそれだけ言うと、つかつか歩いていって自分の席に腰を下ろし、いつもどおり窓の外を眺めていた。

「レディの申し出は断るもんじゃないです」

メイがぼそっと言う。足下を見ると、透明のクリスタルが虫みたいに飛び回っている。はい。俺が悪うございました。

ノートをぱらぱらとめくる。鈴音の字はあいかわらず綺麗だ。

放課後、俺は思い切って鈴音に話しかけた。

「ノート、ありがとう。助かった」

「うん」

「……でさ、最近なんか変わったことなかった?」

「変わったことって?」

「いや、完璧に寝込んでたから。なんかなかったかなって、それだけ」

「ふうん」

鈴音は鞄に手を添えて、椅子から俺を見上げている。えーあー、スムースに会話できない。

「あのさ……練習いけなくてごめんな」

「しょうがないでしょ、謝ることじゃないわ。風邪、もう大丈夫なの?」

「うん」

鈴音の眉が下がる。心配してくれてたんだろうか。

「次の練習は、また水曜でいいのか?」

鈴音の表情がぱっと明るくなる。

「うん」

「そっか、わかった。それじゃ」

「またね。バイバイ」

鈴音はパタパタと教室から出て行った。俺は大きく溜息をついた。

メイはもう教室にいなかった。はぁ。

7 決断

水曜。家までギターを取りにいってからスタジオへ。時間になっても鈴音が来なかった。

「鈴音さん、珍しいですよね。時間になっても来ないなんて。メールの返事もないし」

電話しようかって話になったとき、鈴音が憮然とした顔で現れた。メイの話を聞いてた俺は内心ほっとした。だがっ。後ろに連れてるヤツは誰だ?うちの高校の制服なんだけど、見たことない顔だった。

「遅れてごめんね。妹尾くんがどうしても来るってしつこくって」

鈴音は心底困ったなって表情だ。これは珍しい。

「どーも。ぼくは妹尾悠。悠でいいよ。今日はよろしく」

悠は愛想のいい笑顔で自己紹介した。昔から俺たちのことを知ってるみたいに落ち着き払った態度だ。しかも妙に馴れ馴れしい。

「ま、とにかくはじめましょ。時間がもったいないわ」

四人でちょうどのスタジオは、五人だとかなり窮屈だった。悠は自分のギターケースを抱えたまま、隅で丸椅子に腰掛けて俺たちの演奏を眺めていた。どうにもやりにくい。いつもの調子なのは誠太郎だけ。鈴音は見るからに機嫌が悪そうだった。マイクをセットしてるのに歌がいちども出ない。珍しい。

「ぼくも弾いてみていいかな」

二、三曲やったあと、悠が立ち上がって言った。

「うん……」

「俺は見てるよ。ギターは三人もいらないし」

俺がそう言うと鈴音はなにか言いかけたが、諦めたように肩をすくめて溜息をついた。

「なにができるの?」

「さっきやってたのでいいよ」

黒いレス・ポールをチューニングしながら悠は言った。

「じゃあ……『Taste』ね」

真古都ちゃんがオーバードライブペダルを踏んで、Ride の『Taste』のイントロを弾きはじめる。

なんとなく予想はしていたけど、悠のギターはびっくりするほど上手かった。テクニックはおそらくプロ級だろう。俺なんかとは較べるまでもない。正確無比って言葉がぴったりの演奏だった。俺と真古都ちゃんは目が丸くなっていたが、鈴音はますます機嫌悪いオーラを発散していた。いつも以上にラフな演奏で、とげとげしいくらいだ。

曲が終わる。真古都ちゃんは、ほぇ〜と感嘆の溜息をつき、鈴音はやれやれというように溜息をつく。悠はしばらく考え込んだ顔でスケールを弾いていたが、

「なるほど」

と言うとギターのプラグを抜いて、また丸椅子に戻った。

「あとは見てることにするよ」

爽やかを絵に描いたような笑顔でそう言った。

練習が終わると悠は、

「今日は面白かったよ。それじゃ。またね、鈴音ちゃん」

と、女子受けしそうな笑顔でさっさと引き上げていった。面白かったって、ほんとかよ。てか、あいつなにしに来たんだ?

「悠さん、すごかったですね」

いつものドトールで真古都ちゃんがカフェ・オ・レを飲みながら言う。

「だな。俺より断然上手い」

鈴音は砂糖をしこたま入れたカプチーノを一気に飲み干して、頬杖をついたままいつものミントキャンディをもぐもぐしている。まだ機嫌が悪そうだ。

「俺は、悠のギターは好きじゃない」

誠太郎がぼそっと言う。

「上手いけど、つまらない。手がよく動くだけ。鈴音やアキとは質が決定的に違う。俺はここに入るまでポップ研のヘルプでちょくちょく顔出してたから、よくわかる」

なんと続きがあった。誠太郎にしては饒舌な台詞に、一瞬場が固まった。

「そうなのよね」

鈴音がはじめて口を開く。

「妹尾くんはポップ研の副部長なの。わたしと同じ頃に転校してきたんだって。わたしもポップ研には一週間ほど仮入部してたことがあるんだけど、あんまり好きな感じじゃなかったから、結局正式に入部はしなかったのよ。それなのに目をつけられちゃって、いまだにお誘いがあるってわけ」

鈴音は眉根を寄せて、心底困った表情をしている。まあ、鈴音の演奏を見ちゃえばなぁ。追いかけたくなる気持ちはわからんでもない。鈴音は手を伸ばした自分のカップが空なのを見て、また溜息をついた。ごそごそとキャンディの袋を取り出す。

「自分のバンドをやるって決めたとき、誰を誘うか、これでも結構悩んだのよ。わたしはこのメンバーが最高だと思ってる」

鈴音は言い終わると星模様のキャンディをひとつ、口に放り込んだ。誠太郎はまったくそのとおりという顔で頷いた。真古都ちゃんもこくこくと同意している。

「アキはどうなの?」

鈴音が例の小悪魔の微笑みで俺に振ってくる。ちょっと待て。

「俺は自分のことだけで精一杯だって。いいか悪いかなんて、よくわからないよ」

「それで?」

こいつ。

「うん……でも、楽しくは、ある」

正直な気持ちだ。鈴音は、どきっとするほど屈託のない笑顔を見せた。

「それでね、わたしは自分のバンド辞める気はないからって言ったら、じゃあそのバンドで学園祭に出てよ、だって。ポップ研は今、バンドも持ち曲も少なくて枠に足りないんだって。それで今日は偵察に来てたのよ。なんにも言わずに帰っちゃったけど」

鈴音はそこで腕組みして考え込んでしまった。

「まぁ……ライブはしたかったし、悪い話じゃないんだけど……みんなはどう?」

「それ、すっごくいいじゃないですか、やりましょーよ」

真古都ちゃんが目を輝かせて言う。まあ、そうだろうな……

「俺も構わない」

誠太郎もかい!

「う……どうせいつかはやるつもりだったんだったら、いいんじゃないだろうかと思う」

焦って日本語がおかしくなる。ちくしょー、腹を決めてやる。

しかし、当の鈴音が渋い顔のままだった。

「うーん……そうよね、悪い話じゃないんだよね……」

「あれ?鈴音さんテンション低いですヨ?」

「うん……」

鈴音はしばらく目を閉じ、難しい顔で考え込んでいたが、

「よし!わかった。やろう。決定ねっ」

いきなり身を乗り出して大声でそう言ったので、俺はアイスココアを吹き出しかけた。

「わたしたちのバンドの名前は〈スターライトミンツ〉。今決めたっ。曲も作るっ」

学園祭はいつだっけ……十一月の半ばか。こりゃえらいことになった。

みんなと別れたあと、煮え切らない気持ちでひとり、日の暮れかけた住宅街の坂道を歩く。不意に声をかけられた。

「やぁ、秋比古くんも帰りはこっち方面だったのか」

悠だった。俺はいちどもおまえを見たことはないぞ。それに鞄も持ってないし、思いきり私服じゃーないか。

「ん?やっぱり怪しいか。実はキミに話があって待ってたんだ。食べるかい?」

悠はなぜか林檎を差し出した。なんか気持ち悪い。悠の悪意のない笑顔は、逆に不安を掻き立てる。

挿絵

「なにを企んでるんだ?」

「思ったとおりだね。いい勘をしてる。だったら余計な前置きはいらないな」

いや、普通に怪しいだろ。

「だから、なんの話だよ」

「鈴音ちゃんのことさ」

俺は思わず足を止めた。

「春原さんからいろいろ聞いてるだろ?ぼくも彼女と同じなんだ。別の宇宙から鈴音ちゃんを調べにやってきたってわけ」

俺の警戒心を察知したのか、悠は両手を振って見せた。

「誤解しないでくれよ。ぼくもあの幽霊たちに困らされてる側なんだから。ただ、情報交換がしたいだけだ」

「俺なんかより妹尾の方がいろいろ詳しいんじゃないのか?」

「そうとも言いきれないんだよ。接触のない別の宇宙から誰か送り込まれてるなんて、想定外だ。当然予想できる事態だったんだけど、ぼくらにはそこまで気を回す余裕がなかったってわけ。なんたって鈴音ちゃんの精神波動は、ぼくらの宇宙ではかなり深刻な影響があったんだ。龍脈からの気の流れが乱れて、そりゃもう大混乱だったよ。風水師の調査でこの宇宙に原因があることがわかった。気の流れの弱い辺境だってことで、名前もついていなかったんだよ、ここは。単に〈八〉とだけ番号がついてたんだ。そんなところが原因だなんて、みんな驚いた。世界中の道場に招集がかかって、総会が行われて、対策が協議された。調査隊が派遣されることになって、師匠はぼくを推薦した。それでぼくはこの宇宙にやってきた」

辺境とは失礼な話だ。

「ふむ、なに言ってやがるって顔だね。春原さんはなにも教えてくれてないのかい?それとも……まぁいいや。詮索するのはよくないな」

まったくだ。微妙な感じ悪さが鼻につくヤツだ。

「ぼくの任務は鈴音ちゃんが何者なのか調べること。そして、もし彼女が危険な存在だったら……」

悠が手に持っていた林檎を放り投げる。林檎は軌跡の最高点で白く煌めいて、次の瞬間破裂した。

「排除しろ。そう命令されてる」

「……本気か」

「まさか。君と鈴音ちゃんの取り合いなんかする気はないよ。ぼくの圧勝に決まってるしね」

「え?」

「彼女はとびっきりキュートでクール、ってやつさ。ぼくは鈴音ちゃんのことがすごく気に入ってる。君もだろ?」

答えにくい質問するな。言い返せないじゃないか。てか、なんでそういう話になるんだ。

「あんなにかわいくてギターも歌もうまくて性格もいい女の子なんか、そうそういるもんじゃない。野暮なことはしたくないよ。だから君にぼくの秘密を打ち明けてるんだ。鈴音ちゃんにいちばん近い人間のひとりである君に、ね」

鈴音の性格についてのコメントには引っ掛かるが、まあそのとおりだ。でも、だからってこいつを信用していいものかどうか、俺には判断がつかなかった。

「メイに話を持っていったらいいんじゃないのか」

「さすがにそれはまだ、ね。彼女のことは君たち以上にわからない。敵かもしれないし。なにしろ超空間ゲートを使える相手なんだ。慎重にもなるさ」

悠は別の林檎をポケットから取り出して、俺に投げてよこした。

「君たちのバンドは不思議だよ。ぼくらの地球では、そもそも芸術のためだけに音楽があるなんて考えもしないからね。君らはトップクラスにユニークさ。本当だよ。まだコピーしかやってないみたいだけど、それでもわかるんだ。鈴音ちゃんがすごいのは知ってたけど、君やほかのメンバーもなかなかどうして。ベースの女の子もかわいいし。鮎貝さんだっけ?うちの部員なんか凡庸なもんさ」

こいつ、女の子のメンバーで判断してるんじゃないのか。

「お世辞ならやめてくれ。少なくとも俺はそんな大したもんじゃない」

「そうかな。君はもっと自信を持っていいと思うけどな。演奏技術には改善の余地が多いのは確かだけど、それは大した問題じゃないよ。春原さんが君と親しくしてるのも、君の力を認めてるからじゃないのかい?」

否定できない。

「うん、まあ、今日はこんなもんかな。我らがポピュラー音楽研究部にも顔出してみてよ。学園祭の件、楽しみにしてる。それじゃ」

悠は軽そうな髪をなびかせて、颯爽と去っていった。

わかってるさ。俺の問題だってことくらい。俺は小振りな林檎を思いきり握りしめていた。

今日はまだ姉ちゃんは帰っていなかった。ケースに入れたままのギターと一緒にベッドに倒れこむ。目を閉じる。数を数える。一、二、三。四、で目を開く。いつもの天井。ベッドから起き上がる。枕元に転がっていた林檎をゴミ箱へ叩きつける。

俺の足は春原宅へ向かっていた。決断なんかできてるわけじゃない。でも、はじめないといけない気がする。それだけだった。

呼び鈴を押す。インターホンからはアルフレッドさんの落ち着いた声。

「おお、古谷様でしたか。しばらくお待ちいただけますか。すぐに開けますので」

ドアの向こうからどたばたと騒がしい音がする。それが止んだと思ったら、こんどはドアががちゃがちゃと大きな音を立てて軋んでいる。思いっきり反対側に引っぱってるんじゃないだろーか、と思い当たったところで、勢いよくドアが開いて、危うく顔面を直撃しそうになった。

ドアノブを思いきり握りしめて息を切らしているのは、メイだった。

「ごっ、ごめんなさいっ!大丈夫ですかっ?」

のけぞっている俺を見て、メイが慌てて言った。

「いや、俺は大丈夫だけど……」

メイは俺の視線をたどって、自分の胸元を見た。メイは沸騰したように真っ赤になって、開いたときの倍の勢いでドアを閉じた。

沈黙。

こんどはそーっとドアが開いて、メイが顔を出す。

「……あの、ごめんなさい、着替え中だったから……ボタンちゃんと留めてなくて……」

メイは真っ赤な顔で俯いたまま、もごもごと言った。

「いや、メイが謝るようなことじゃ……てか、はじめてじゃないし……」

「えっ?」

「いやっ!なんでもないっ。ごめん」

ヤバい。早く本題に戻さなければ。これは試練だ。優柔不断な俺に与えられた試練だ。

「それでさ……こないだの話なんだけど……」

「はい……」

メイが一瞬、不安げな表情を見せる。女の子に告白するのってこういう感じなんだろーかって、今はそんなこたどうでもいい。

「俺に……俺にできることがあるんだったら、手伝わせてくれないかな」

突然の衝撃で息が詰まった。

「ありがとう!ありがとうっ」

メイは俺の首が折れそうなくらい、思いきり抱きついていた。俺の手は行き場をなくし、メイは半ばぶら下がる格好になっている。甘い香水の香り。柔らかい感触。

こういう展開になる予定ではなかったんですけれども……

8 メイ

メイとアルフレッドさんは、難しい顔で俺の失敗作を睨んでいた。

「安定しませんな……」

「うん……」

リビングはよくわからない計測機械でいっぱいだ。台座に嵌った占いで使う丸い水晶みたいな玉がいくつか、額縁つきの黒板みたいなパネル、それらを繋ぐたくさんのケーブル。どれも年代物のアンティークのように見える。

俺はクリスタルをいくつか渡されて、言われるままに起動に挑戦してみた。しかし、たいていのクリスタルはうんともすんとも言わず。いくつかは暴走しかけて、メイが慌てて停止させた。十個ほど失敗した後、メイとアルフレッドさんは猛烈な勢いで調べものをはじめた。

メイは長い黒髪をアップにしてまとめ、色つきのフライトゴーグルみたいな眼鏡をかけている。アルフレッドさんが次々持ってくる分厚い大きな古びた本にすごい速さで目を通していた。

「うーん」

メイは頬に指を添えたポーズで黙りこくる。俺は手持ちぶさたで、微妙に居心地が悪い。当落ギリギリラインの面接みたいだ。

「やはり〈サード〉の方々の魔法適性は我々とは異なっているようですな」

「そうね……」

メイは、丸い玉の中で脈動する色とりどりの光のパターンを見つめていた。

「アキ、黒騎士のクリスタルは持ってる?」

俺は胸元からクリスタルを取り出してメイに渡した。メイが微笑む。

「大事にしてくれてたのね」

「うん、まぁ」

春風のような笑顔。正直、どきどきする。メイはほんとに育ちがいいのだろう。黒い鎧を身に纏って剣を振り回す姿は、普段のメイからはぜんぜん想像できない。

メイはノートPCみたいな機械にクリスタルを接続した。

「あれ?」

メイはしばらくあれこれメニューを操作していたが、また考え込んでしまった。

「これ、アキに渡したときからいちども起動してないよね?」

「もちろん。そもそもやり方がわかんないよ」

「うーん……」

メイはまた機械の操作に戻った。

「このクリスタルは、わたしたちがファントムと戦ったとき、アキが使ったものなの。そのときにアキが変えちゃったパターンは研究のために保存しておいたんだけど、今のクリスタルはそのときからまた変化してるみたい」

「う。俺、なんかまずいことしたか?」

「ううん、そういうわけではないのだけど……起動してないクリスタルの中身が書き換わるなんて、どういうことかしら。〈ファースト〉にもアキみたいなクリスタルを変化させる能力を持ったネイティブのウィザードがいて、トランスミューターって呼ばれてるの。トランスミューターはクリスタルの出力を増やしたり、コードを変化させてクリスタルにインストールされた以外の魔法を発現させたりできる。とっても強い力なんだけど、彼らでも起動した状態でないとクリスタルの中身を書き換えることができないの。そのうえ、変化したクリスタルは安定しないからすぐにダメになっちゃうんだけど……このクリスタルは変化した後でも安定した状態を保ってるだけじゃなくて、自ら変化を続けてる、ように見えるのね」

「ふむ」

「ログを見る限りそういう結論になってしまう。こういう複雑な仕事をこなす高度なクリスタルには学習機能があって使用者の癖を読んでくれるものなんだけど、これはそういうレベルの話じゃない」

「ふむ……」

メイはケーブルをクリスタルから外し、俺に渡した。

「起動してみて。やり方はほかのと同じだから」

俺はクリスタルを持って精神集中した。心の中で教わったとおりの短いフレーズをイメージする。なにも起きない。もういちど。なにも起きない。もういちど。やっぱりなにも起きない。

「うーん……」

メイはまた腕組みして考えこむ。

「そうだ」

メイはまたノートPCみたいな機械をすごい勢いで操作しはじめた。

「アキ、ギターを持ってきてくれない?なんだっけ、あのいつも使ってる小さい装置も一緒に」

俺がギターを持って戻ると、メイはギターの出力をノートPC(みたいなもの)に接続した。

「ファントムと戦ったとき、どんなフレーズを想像したか覚えてる?」

「……なんとか弾いてみる」

うろ覚えのフレーズを、音を確かめながら、つっかえつっかえ弾く。実際の音になるとイメージしていた素晴らしさは消え失せていく。いつものことだ。鈴音にそんな話をしたら、そんなの当たり前じゃないって笑ってたっけ。自分の頭の中なんて信用できないのよ。ちゃんと音にして確かめなくちゃ。

何度かフレーズを繰り返すと、手も慣れて音楽っぽくなってきた。メイはじっとモニタを見つめている。

クリスタルがいきなり青い閃光を放って、世界が真っ白になった。視力が戻ってくると、いろんなものがひっくり返ってひどい有様になってる部屋が見えた。メイは椅子から転げ落ちて尻餅をついた格好になっていて、アルフレッドさんは本の山に埋まっていた。

「アキ、それ……」

俺の周りを黒い物体がいくつも飛び回っている。短剣だと思っていたのは、よく見るとサイズの大きいギターピックだった。俺の使ってるのと同じ亀の絵が、黒い表面に青い光で浮き出ている。六枚のピックはそれぞれ違う音を発しながら、航空ショーのアクロバット編隊みたいに一糸乱れない動きを見せていた。

みんなで起動の成功を喜んだあと、こんどはクリスタルをシャットダウンするのに手間取ることになった。なんとか魔法を解除すると、ピックの編隊は母艦のクリスタルに吸い込まれていった。

散らかった部屋を片付けたあと、夕食をご馳走になることになった。

「皐月は?」

「姉ちゃんは友達と飲むから遅くなる、ってメール入ってた」

「皐月はお酒が大好きなのね」

「うん。飲み過ぎなきゃいいんだけどね。酒癖が悪くって」

メニューは肉と野菜のポトフ、みたいなもの。変わった香りのハーブがたくさん使われていた。でも、うまい。それからフライドポテトと酸っぱいドレッシングのサラダ。味付けが少し変わってるだけで、俺らの普通の食事とあんまり変わらない。

ひとしきり食べ終わると、アルフレッドさんがいい香りのするお茶を出してくれた。ひとくちすすってみる。とんでもない苦さに顔が歪んだ。メイが笑う。

「なっ、なにこれ?」

「我が家に代々伝わるハーブティ。マナの回復と整流に効果があるの。ちゃんと全部飲んでね」

意を決して一気に飲み干す。俺の顔を見て、またメイが笑う。

「わたしも小さい頃はおばあ様に泣きながら飲まされたわ。立派な魔法使いになれませんよ、って」

「メイはなんで黒騎士になったんだ?」

メイは、目を伏せて黙り込んでしまった。う、まずいことを聞いてしまっただろうか。気まずい沈黙。アルフレッドさんなんか目頭をハンカチで押さえている。

「ちょっと外の空気を吸ってきましょうか。散歩でもどう?マナの回復にはその方がいいの」

「あ、ああ、うん……」

外はすっかり暗くなっていた。昼間はまだまだ暑かったりするけど、日が暮れるとさすがにTシャツとパーカーじゃ肌寒い。メイはジャンパースカートにリボンのついた黒いボレロ。俺の隣をとことこ歩いている。俺もメイも黙ったままだった。

「この先にね、大きな池のある公園があるの、知ってる?」

沈黙を破ったのはメイだった。

「うん。小学生のときはよくロッドを持って、バス釣りにいってた」

「へ〜。アキはずっとここに住んでるんだね」

「そういうことになるな」

「ねぇ、公園まで行ってみましょうよ」

言うが早いか、メイは小走りに駆け出していた。慌てて追いかける。メイったら見た目に似合わず走るのが滅法速い。すぐ息が上がる。魔法の訓練のせいだな、こりゃ。そういうことにしといてくれ。

公園にようやく辿り着いた俺は、池の近くのベンチにへたり込んだ。きつい。メイは転落防止用の柵から身を乗り出して、池の水面から跳ねる魚が月明かりの下で煌めくのを眺めていた。

「ここにも月があって、魚がいる。変わんないね」

メイは振り返ってそう言うと、勢いよく柵に跳び乗ってその上に腰掛け……ようとしてバランスを崩した。

「きゃあ」

俺は慌ててメイの腕を掴んで引っぱって、倒れてくる体を受け止めた。

「あっ、ありがとう」

メイはぱっと俺の腕から逃れると、顔を真っ赤にして言った。

「いや、秋の夜に池に飛び込む羽目にならなくてよかった。でも、しょっちゅうやるのは勘弁してくれ」

「……ごめんなさい」

「いや、怒ってるわけじゃないんだ、ただ……」

女の子に抱きつかれたら嫌でもどきどきするじゃないか、なんて面と向かって言えるわけもなく、俺は言葉を濁した。

「お父様にもいつも注意されたわ。もっと慎重に行動しなさいって。ちっとも直らないんだけど」

メイは几帳面に服の乱れを直し、バレッタを外して上げていた髪を下ろした。髪がさらさらと流れ落ちる。メイはすとんとベンチに腰掛けた。

「お父様は黒騎士だったの。グリーン・ブラックの隊長だった。名前のとおり、緑の塔の守備隊だったの。でも騎士団結成当時、緑の塔はファントムに占拠されてたから、その任務は塔の奪還だった。優秀な騎士だったお父様にその大役が任されたってわけ。ちょうどその頃、わたしにネイティブの力が発現して、専門課程に編入することになった。『我が家にとって最良の年だ』って、お父様は大喜びだったわ」

メイは格式張った言い回しとポーズを真似て言った。

「お母様は体が弱くて、わたしを産んですぐ亡くなられたの。わたしはお父様とおばあ様に育てられた。わたしは小さい頃は病気がちで、ふたりをよく心配させたの。ネイティブは魔法に対する適性は極めて高いんだけど、身体や精神の健康がその代償になってることが多いんだって。わたしは成長が遅くて、同年代の子たちの中じゃいつもいちばん小さかった」

下手すると小学生くらいに見える体格はそのせいか。

「そんなこともあって、お父様はひとり娘のわたしのことを溺愛してた。もう、迷惑なくらいね。男の子の友人はお父様の〈試験〉を受けなきゃいけなかった。手加減なしのお父様と、模造刀で試合させられるのよ。わたしにふさわしい人物かどうか確かめるんだって。十にもならないのにね!そのことでいつもおばあ様に、大人気ないってたしなめられてたわ」

俺も試験とやらを受ける羽目になるんだろうか。俺は体育会系のノリは苦手だ。ひどい目に会うに違いない。

「お父様の出陣の日のことは、はっきり覚えてる。わたしは心配でぽろぽろ泣いてた。おばあ様は、今日はお父様の大切な日なんだからそんな顔じゃだめよって言った。お父様は笑顔で、すぐに仕事を終えて帰ってくる、正義は我々にあるのだからって言って、わたしにキスしてくれた」

メイはベンチの上で膝を抱えた。

「お父様は帰ってこなかった。戦勝報告に来たはずの大臣の重苦しい雰囲気で、よくないことがあったのはすぐにわかった。帰ってきたのは、割れて半分になったクリスタルと、わたしがお守りにあげた傷だらけのアンクだけ。気丈なおばあ様も泣いてた。お父様は塔のコアクリスタルを守ってたファントムと相討ちになったんだって、後から聞いた」

俺は突っ立ったまま、ただメイの話を聞いていた。コメントのしようがなかった。メイは話し続ける。

「わたしはお父様の後を継いで騎士になることに決めた。おばあ様は悩んだみたいだけど、わたしの意志を尊重してくれた。そしてわたしはブルー・ブラックの末席に加わったってわけ」

メイはぴょんとベンチから立ち上がって、大きくうーんと背伸び。

「メイは体が弱いんだろう?剣なんか振り回して、大丈夫なのか」

「大半の力仕事は鎧がやってくれるの。もちろん身体能力が高い方がいいんだけど、魔力が強ければそれも補えるってわけ。審査委員会は最初、わたしの加入を渋ってたみたいなんだけど、わたしはネイティブだったし、自分用にチューニングしたクリスタルをお父様の形見を元に自作してた。黒騎士のクリスタルの改造は、ほんとはいけないことなんだけどね。団長のアマラ様はわたしが見習いの男の子を負かした試合を見て、特別に入団を認めてくださったの」

「なるほど」

「でね……ちょっと言いにくいんだけど」

メイは苦笑いしながら言った。

「実はね、わたし、実戦ははじめてだったの」

なんですと?そういや、アルフレッドさんははじめて会ったとき初陣とか言ってた記憶が……

「やっぱり驚くよね。でも〈サード〉へのハイパーゲートの輸送力は限度があるし、クリスタルの調整をするにはわたしのビルダーの能力が絶対必要だったの。合理的な判断よ」

「確かにそうなんだろうけど……」

「わたしの戦闘経験が頼りないことはわかってたから、ファントムと遭遇しても極力戦闘は避けるように言われてたの。でも、アキがファントムに襲われそうになってるのを見つけたとき、やらなきゃって思って。すごい不安だったしプレッシャーもあったけど」

そうだ。俺はメイに助けられたんだ。

「メイがいなかったら、俺はどうなってたかわからない。ありがと」

「ううん、いいの。わたしもアキがいなくちゃ勝てなかった」

メイは右手をぴんと差し出した。

「わたしを信じてくれてありがとう。チームとして、これからもよろしくね」

「うん。こちらこそ、よろしく」

俺は差し出された手を握った。メイは両手で強く握り返してきた。メイは俺の顔を見つめて微笑む。照れくさい。

「そうだ、忘れるところだった」

「なに?」

「メイたち以外にも、ほかの宇宙から来たってやつがいるんだ。同じ学校の同学年で別のクラス。妹尾悠って、知らない?」

メイは首を振った。

「そっか、当然そういう可能性もあるのよね」

「そいつも鈴音のことを調べてるらしい。メイとはまだ協力できないって言った。敵か味方かわからないって」

「そう……」

メイの表情が硬くなる。俺は必要なこととはいえ、悠のことを喋ったのをちょっとだけ後悔した。なんかいい雰囲気だったのに……ってなにを考えてるんだ。俺はかぶりを振った。

「どうかした?」

「いや……そろそろ帰ろう。寒くなってきた」

「そうね」

二、三歩歩き出したところで、メイが振り返った。月明かりがメイの黒髪に青白い輪郭を投げかける。今日は満月だった。

「そうだ。アキにはわたしの本当の名前を教えてあげる。わかってると思うけど、春原は偽名なの。わたしの本当の名前はメイ……」

英語っぽい発音の言葉は、さっぱり聞き取れなかった。メイ・ジェ……なんとか。だけど、メイの声はグラスハープのようなソプラノで、耳に心地よく響く。名前を言い終わるとメイはまた微笑んだ。夜風がメイの髪をさらさらとなびかせる。踵を返したメイの後ろ姿を、俺はしばらくぼーっと見つめていた。

「アキ、どうしたの?」

「あ、うん」

慌ててメイを追いかける。ほんとに俺はどうかしてる。

9 秘密の歌

忙しい。学園祭に出ることが決まり、バンドの練習はほぼ毎日に増えた。それが終わるとこんどはメイの家で魔法の特訓。月末は中間テストもある。なんだこの過密日程。そして二年生の俺たちは進路ってやつもそろそろ真剣に考えないといけない時期になってきてる。うひー。とにかく目の前のことをなんとかしなくてわ。唐沢と広和には付き合いが悪いって文句言われまくりだ。

学園祭までは土曜日もバンドの練習をすることになったので、メンバーの私服姿を見る機会が増えた。夏休みは女性陣のファッションが楽しみのひとつだったことは、正直に言わなくちゃいけないだろう。鈴音は言うまでもないが、真古都ちゃんも普通に美少女なのだ。鈴音のミニのフリルスカートにボーダーのオーバーニーとか、真古都ちゃんのスポーティなキャミソールとショートパンツとか、実によろしゅうございました。誠太郎はアロハに膝丈のショートパンツと雪駄で現れ、意表をついていた。普段のクールなイメージからは想像もできなかった。

そんなわけで、俺は密かに休日の練習を楽しみにしていた。おまえのギターをどうにかしろってのは、とりあえずナシの方向で。

土曜日。鈴音はチャイナ襟の白いシャツとレース付きのプリーツスカート。うんうん。真古都ちゃんはちょっとかぼちゃラインのショートパンツにモスグリーンのぴったりしたジャケット。うんうん。誠太郎は凝った和柄のカットソーにカーゴパンツで登場。うむ。俺はいつものジャージトップにジーンズ。なんで君らはいつも高そうな服を着てますか。羨ましい。

学園祭では三曲やることになっていた。バンドを結成して最初にやった曲、『When You Sleep』以外は鈴音が曲を書くことになっていた。だって、コピーばっかじゃもったいないわ。嬉しそうにそう言った。

とりあえず通して二曲やったあと、鈴音が言った。

「あのね、曲、できたんだ。聴いてくれる?」

鈴音はギターのクリーンサウンドを少し調整してからイントロを弾きはじめた。ミドルテンポ。少しボサノヴァっぽいコード。歌に入る。日本語の歌詞。シンプルなメロディ。いい曲だ、と素直に思った。鈴音は歌い終わると、もう一曲あるんだよねとつま先でリズムを取りながらオーバードライブペダルのスイッチを踏んで、こんどはヘビーなリフをはじめた。スクラッチがフィードバックぎみに鳴る鈴音のギターの音は、それでも心地よく響く。歌がはじまる。

いきなり視界が青く染まる。音が聞こえなくなる。これはファントムが作るアイソレーションフィールドとかいうやつ?周りを見回す。スタジオには俺と、聞こえない歌を歌い続ける鈴音だけだ。真古都ちゃん?誠太郎?

「鈴音!」

俺は叫んだ。歌い終わった鈴音はゆっくりこちらに目を向ける。金色の瞳。鈴音は白い光に包まれた。これは……いつか見た夢の……

我に返ると、真古都ちゃんが俺の耳を引っぱっていた。

「あいでで!」

「アキさん、ちゃんと聴いてたんですかっ」

「あ、うん、ああ、もちろんさっ。集中しすぎってやつだな」

「もんのすごくぼーっとしてるように見えましたケド?」

「気のせいだって。俺はいつもこうなの」

鈴音はなにごともなかったように笑っていた。

曲はとてもよい感触だったので、満場一致でセットリストに加わることになった。

「帰ったらスコアと音源メールしとくね」

鈴音は上機嫌だったが、俺は青い世界と金色の瞳が頭から離れなかった。

俺は家に帰るとすぐに、メイに今日起こったことを話しにいった。

「ううーん……やっぱり本人がなにか隠してるわけじゃなさそうね」

「鈴音がファントムだっていうことはないのか?」

「可能性がない、とは言いきれないわ。ファントムについてはよくわかっていないことが多いもの。でも、アキの話だとアイソレーションフィールドみたいなものが発生したらしいけど、あれだと周囲の人間が消えていなくなる、なんてことはないわ。アイソレーションフィールドはファントムが実体化するために作る場で、人間が行動不能になったり音が聞こえなくなったりするのは副作用なの」

「そうか……」

「それに鈴音さんがファントムなら、なんでここで普通に人間として生活してるのかしら?彼女、立派な洋館に両親と住んでるのよ。実際見に行ってみたこともあるんだけど、なんの変哲もない普通の家だった」

そうだったのか。俺は鈴音の家のことははじめて知った。メイはきっちり調べてるんだな、って当たり前のことに驚く。

「妹尾くんはわたしより先にこの宇宙に来てると思うんだけど、それでも鈴音さんについてはなんにもわかってないみたいね。アキに自分のことを話すってことはわたしにも正体がばれちゃうってことなのに、そういうリスクをとっても情報が欲しいんだもの。焦ってるのかしら。たしかに鈴音さんについては調べてもつかみどころがないことだらけだけど……」

メイはお茶のカップに指を引っかけたまま黙り込んでしまった。

「そうだ、ここ、ネットには繋がる?」

「えっ、携帯電話じゃなくて?」

メイはきょとんとして俺を見つめる。

「うん、インターネット。メイが使ってるみたいな機械を使ったりもするんだ」

「フレキシスレートに?そうなの?」

そんなややこしい名前がついていたのか、あの機械。

「ううう、情報端末は携帯電話っていうものしかないと思っていたわ。不覚ね……」

メイは文字どおり頭を抱えた。メイは肝心なところでなにか抜けてるタイプなんじゃないだろーか。

「うちに行こう。鈴音が録音した曲をアップしてるはずなんだ」

メイと俺はスレートやら眼鏡やらマナアナライザー(水晶玉はこういう名前なんだそうだ)を抱えて、ばたばたと俺の家に移動した。

「お。アキ、帰ってたんだ。あっ、メイちゃんいらっしゃい」

「こんばんはっ」

晩酌で上機嫌な姉ちゃんは華麗にスルーして、俺の部屋に……って、

「……アキは少し部屋を片付けたほうがいいです」

「女の子が来るなんて想定外だって……」

とりあえず散らかってるものをクローゼットに押しこめて Mac を起動させる。メイは興味津々で俺の肩越しに起動画面を覗き込んでる。メーラーを立ち上げると、鈴音からファイルへのリンクと解凍用のパスワードが送られてきていた。いつもの素っ気ない、用件しか書かれてないメールだ。ファイルをダウンロードして解凍する。メイがますます身を乗り出してくる。

「……あのさ、メイ。そんなにくっつかれると操作しにくいんだけど」

「えっ?ごごご、ごめんなさい」

メイはばばばっと俺から後退した。いや、そんなに離れなくてもいいんだけど……

「んじゃ、再生するよ」

深呼吸して、再生ボタンを押す。デモのイントロが流れてくる。オリジナルからアレンジを変えた曲は、鈴音がいつもデモと簡単なスコアを作ってくれていた。この曲もスタジオで聴いたみたいな弾き語りではなく、オーバーダビングされたバンドサウンドになっていた。鈴音らしい、シンプルに二本のギターのコードで音の厚みを出すアレンジだった。いつもと違うのは、鈴音の歌も入ってることだ。

「アキ、それって……」

メイの声が思ったより耳元で聞こえた。メイはまた俺の肩越しに身を乗り出して MacBook の画面を覗いている。しかし表情は険しい。ぴりぴりした緊張が伝わってくる。

「それ、外に出力できる?」

「ああ、うん」

メイは眼鏡をかけてスレート(ノートPC)とアナライザー(水晶玉)を床に広る。俺はケーブルを発掘して Mac に繋げ、メイにもう一方のプラグを差し出した。

「アキ、もういちど再生して。歌の頭からお願い」

アナライザーがものすごい閃光を発し、視界が真っ白になった。

「うわっ!」

メイが慌てて調整する。

「む〜……感度を上げっぱなしだったわ」

メイが流れるようなタッチでスレートを操作する。

「なにが起こったんだ?」

「魔法が発現するときはマナが別のエネルギーに変換されるんだけど、そのときマナバーンっていう現象が起きるの。今のはそれ」

アナライザーの玉の中で光が踊る。

「音楽は魔法の構成要素だって話はしたよね。量の大小はあるんだけど、音楽はマナを生成するの。でも、鈴音さんの歌から観測できる量は、ちょっと非常識に多すぎる。規模はぜんぜん違うけど、これはまるで……メイルストロームみたい」

メイルストロームっていうのは〈ファースト〉の各地にあるマナの泉で、目に見えるほどマナが渦巻いてるのでそう呼ばれてるらしい。普通は地下深くにあって、ウィザードの塔はその上に建てられているそうな。

「〈サード〉はマナが薄いって話はしたよね?ここで魔法を使うのは結構大変なことなの。黒騎士のクリスタルも、わたしのマナを目一杯使って本来の出力の半分ってところ。調整済みのクリスタルでもその程度。なのにこれは……」

曲が終わり、アナライザーの光が薄れていく。

「どうなんだ?」

「そうね……」

メイはアナライザーのログをスレートに表示させている。

「きちんと分析しないとはっきりしたことは言えないけど……彼女はとてつもない魔力の持ち主。伝説のウィザードでも匹敵する人はそういないかもしれない」

「そんなに?」

メイは頷いた。

「このラフな録音でもこれなんだもの。完全な状態でどうなるのか、想像もつかないわ」

ドアが開いて、姉ちゃんが顔を出した。

「メイちゃん、アキ、ジンジャーエールでも……って、お邪魔だった?」

俺とメイは顔を見合わせて、思いきり二人の距離を意識した。こんどは俺がメイの後ろから覗きこむ格好になっていた。座ったままぴょんとお互い後退する。姉ちゃんはドアから顔だけ出して、によによ笑いを浮かべている。

「にょにょーん。いいのよぉ。ここに置いとくね〜」

消えろチェシャ猫。メイは真っ赤になっている。いかん。これはいかん。だからなんなのだ、この展開は。

「あ……ジンジャーエール、飲む?」

死ぬほど間抜けな台詞だったが、メイはこっくり頷いた。メイはグラスからひとくち飲んで、顔色が無くなった。

「なっ、なにこれっ。辛い?」

「ジンジャーエール。生姜と唐辛子とシナモンなんかを煮詰めて、炭酸で割ったやつ」

「唐辛子!」

「うん」

「ううう、わたし、辛いものはぜんぜんダメなの……」

「あの苦いお茶は平気なのに?」

「言ったでしょ、泣きながら飲んでたって。鍛錬よ」

「なるほど」

俺たちはそう言って笑った。

「あのね、アキ」

「なに?」

メイはまたもじもじしてる。

「……あのね、アキは女の子とお付き合いしたことって、ある?」

俺は口にしたジンジャーエールを吹きかけた。

「なっ、なにをいきなり……」

「いや……その……ちょっと気になったから」

メイは両手で持ったグラスに視線を落としたまま言う。

「う……ない。いちども、ない」

「告白されたことは?」

「当然ない。バレンタインも姉ちゃん以外にもらったことない」

「じゃあ、したことは?」

「それもない……って、メイはどうなんだ」

「わたしは……プロポーズされたことが……」

メイは下を向いたまま、ぼそっと言った。

「え?」

「ブルー・ブラックの副隊長。まだ早いからってお断りしようとしたんだけど、返事はいつでもいいからって」

「そんな古い少女マンガみたいな……メイの世界じゃそういうのが普通なのか?」

「ううん。恋愛とか結婚とかの風習は、こことたいして変わんない……と思う。お父様はものすごい古風なだけだし、副隊長はちょっと……なんていうか、変わってるの。同い年くらいの子たちはみんな男の子の話ばっかりしてたわ」

「おんなじなんだな」

副隊長のなにが変なのかは、気になったけど聞かないほうがいいような気がした。

「こっちへ来て魔法がないっていうのにはずいぶん戸惑ったけど、しばらく住んでみると変わらないことのほうが多いように感じるの。人の気持ちとかね」

メイは無謀にもジンジャーエールに再挑戦して、口をマンガみたいな波形に歪めた。

「ううー、これはどうしても苦手ね。このプチプチする感じもちょっと……」

俺たちはまた笑った。

10 郊外にて

鈴音の曲は、メイがコピーを持って帰って詳しく分析してくれることになった。俺はとにかく自分のパートを練習することに。ほとんどがコードストロークと簡単なリフで、特に難しいところはない。二時間ほど練習して、どうにかひととおり覚えることができた。ソファでいびきをかいてる姉ちゃんを回収して部屋に放り込んでから風呂に入って洗濯して、ベッドに寝転がってぼんやりする。ヘッドフォンから鈴音の声がしてる。

「……見えないときは振り返らない……あしたにはなにかが変わっているはず……ぼくは膝まで砂に埋もれて……」

一人称が「ぼく」なんだ。そう思ったあたりで記憶が途切れ、気がつくと朝だった。

いつもの時間にメイがやってきて、家を出る。鈴音の曲については昨日のこと以上はわからなかったらしい。メイは少し眠そうだった。遅くまで頑張っていたのだろう。俺に手伝えることはない。メイは俺が協力すると言ったことに喜んでくれてるが、魔法初心者の俺ができることはほとんどなにもなかった。ただピックの編隊をひょろひょろ飛ばすだけ。黒騎士のクリスタルの起動コードを俺のために書き換えてくれたのもメイで、俺は見ていただけだ。ファントムが現れないのが幸運だったが、いつまでも安穏としてられない。早くなんとかしなきゃ。

それでも三重生活の忙しさは、日々をあっという間に押しやっていく。中間テストもどうにか期待値以上(もともと高くないとか言いっこなしだ)でクリアし、月も変わってもう十一月。青い世界の金色の瞳の鈴音もあれ以来見ることはなかった。

悠が連休の間に出演するバンドの顔見せをしようと提案し、俺たち